ティベリア
山上の垂訓教会
イエスがその思想・教義の最も重要な部分を語ったといわれる場所に造られた教会。私でも聞いたことがある「求めよ。さらば与えられん」、「狭き門より入れ」など福音書に書かれた8つの句がここで語られたようです。この聖堂は8角形で、この句に由来するものだとか。
カナ
婚礼教会
婚礼の最中にワインがなくなったことを母マリアから聞いたイエスが、水をワインに変えたというところ。ちなみに、ここはサンフランシスコ会修道院で、近くにギリシャ正教の婚礼教会があるとのことでした。
水をワインに変えた場所と水が入っていたとされる石壺。
ナザレ
受胎告知教会
マリアが神の子を宿したとお告げがあったところで、キリスト教にとって大切な教会の一つです。
マリアが神の子を宿したと告知された場所。ここを見るために、行列ができています。
この教会の内外には、世界各国の特徴で描かれた聖母子の絵画が飾られています。左側が日本のイエスと聖母マリアです。日本は教会内に飾られていました。その右隣はスペインです。屋外に飾られていた絵画は、結構びっくりするものが多いです。失礼ながら、私にはパロディにしか見えなかった。。。
作者は、長谷川ルカ(路可)画伯で、細川ガラシャ夫人をモデルとして想定し描いた『華の聖母子』というモザイク画だそうです。 マリアが着ている小袖には真珠5000個を埋め込んでいるそうです。
聖ヨセフ教会
イエスが子どもの頃、母マリア、父ヨセフと生活した場所の跡に教会が建てられたようです。キリスト教はイエスと聖母マリアが宗教の中心にいて、父親のヨセフを「聖ヨセフ」と呼んで教会ができていることにびっくり(*_*)。右側は聖ヨセフです。なぜ、皆さんは膝を触っているのでしょうね?
左は生活の跡らしいです。イエスが神格化されるまで、かなりの年数がかかったと思いますが、「子どもの頃の生活の場所を特定できる根拠って何なんだろう?」と不毛の疑問を持ってしまいます。
右はイエスの幼少期の頃の家族3人の様子。
カスル・エル・ヤフド
イエスが洗礼を受けた場所
イエスが洗礼を受けたとされるヨルダン川です。ヨルダン川西岸地区の紛争地域にあり、イスラエル政府の行政や軍事の力が及ばないところです。ヨルダン自治区なので、ヨルダンの国旗がはためいています。
おそらくキリスト教信者と思われる方々が嬉々として川に入っていました。近くでミサも行われていました。
私はこの川の色と匂いで、川に入っていません。この周囲は砂漠なので、ここはオアシスです。2000年前はきれいだったのでしょうか?
死海
下は、死海の様子です。向こう側はヨルダンです。縦長い死海の一番北側に位置するビーチでした。
実際に死海に入ってみると、お尻を海水につけた時点で「あ、これは浮くな」と感じます。ガイドさんによると、ボーリングの球も浮くそうです。この日の気温は28℃くらいで、水温も冷たくはありませんでした。
死海の底にある泥はミネラル豊富で美肌効果があるとのことでした。ここの売店をはじめ至る所に「dead Sea」と書かれたスキンケアグッズがたくさん売られていました。ちなみに、宿泊したホテルのアメニティも「dead Sea」と書かれていました。
しかし、このビーチの浮遊体験ができる場所はほとんど砂利で、泥パックをできるようなものではありませんでした。それでも、白人の女の子がすくって顔に塗っていましたが、すぐに真っ赤になっていました。きっと、泥パック用の泥は別のところから採取しているのでしょうね。
ここに入るには、受付ゲートでバスタオル1枚を受け取り、海の家みたいな建物で着替えます。更衣室は個室ではなく、みんなで着替えます。子どもがプールの時に使うようなバスローブ?を持っていくと恥ずかしくないかもしれません。
更衣室の横にシャワー室が5室くらい設置されていました。シャワーから出てくるのは水です。利用者数のわりにシャワーの数が少ないので、行列ができています。そのため、落ち着いて体を洗うことは難しいと思います。清掃担当の女の子が悲鳴を上げて注意していましたが、洗面所で足を洗う強者もいました。
この後に観光が控えていると、「ちょっとキツイな」と思いますが、我々はこの後ホテルに直行でした。
ビーチにあった塩層?塩の析出物もありました。死海の塩分濃度の高さがわかります。
イスラエル、ヨルダン両方のガイドさんが説明してくれましたが、死海の水位が下がっているのは、神のお告げによってヨルダン川をせき止めていることも一因とのことです。
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