先日、つけっぱなしにしていたテレビから歌が聞こえてきました。何気に聞いていると「永久の愛と引き換えに、すべてを投げ出してもいいから」というフレーズに引っかかりました。こういったラブソングは表現の差こそあれ、「恋い焦がれる思いを成就させることができるのであれば、何もいらない」ということが人々の共感を得るようです。
話はそれますが、今どきの若い男の子(アイドルだけ?)は、スーツでもピアスやペンダントのみならず、ネックレスやブローチ、コサージュも着けるのですね。まあ、仕事着としての背広ではやらないのでしょうが、ちょっとびっくり。
昭和に生まれて平成を過ごした人間には、隔世の感があります。まあ、私の同級生男子もペンダントを着けているので、私が時代に取り残されているだけなのかもしれませんが。。。
話をもとに戻して、冒頭の言葉です。これは、今は亡き岡堂哲雄教授の講義で聞いたお話です。
教授は家族心理学が専門でした。当時、少年犯罪を分析するに当たって、被疑者の生い立ちから犯行に至るまでの経緯を家族関係から分析した講義がとてもf興味深かったという記憶が残っています。
で、岡堂教授曰く、「好きな人のためなら死んでもいいとか、何を失ってもいいとか言うことは、尋常な精神状態ではない。普通の精神状態であれば、少なくても死んでも良いとは考えない。恋愛はそのような精神状態を引き起こすことが多い。恋愛は一過性の精神障害である。」といった主旨の説明でした。ラブソングの歌詞のような精神状態ですよね。
その話を聞いて私は、「う〜ん、そうかも。。。」と思いました。
では、一過性の精神障害から回復した場合、その恋愛は終わりを迎えるのか、友情に浄化するのか、その後については記憶に残っていません。
当時、受講生からの質問は「教授が奥様と結婚したのは一過性の精神状態だったからですか?」とか、「結婚を一過性の精神障害の状態でしたのであれば、今はどんな精神状態ですか?」とか、面白半分のものでした。教授は「ノーコメント」といって、講義を進めてしまったので、ちょっと回答が聞きたい質問だったので、残念でしたし、「一過性の精神障害」だけが私の中に言葉として残ってしまいました。
あとから知ったことですが、講義を受けた当時、岡堂教授は「マリッジ・カウンセリング 心豊かな結婚生活のために、婚前・婚後に読む情報」(至文堂)の出版が終わった頃だったようです。とするならば、教授の言葉は著作で精製されたエッセンスだったのでしょう。
確かに、昔から著名な作家の恋愛には、刃傷沙汰などぶっ飛んだ内容のものがありますよね。以前、「刃傷沙汰は色と金。それ以外で人を傷つけない。」ということを話してくれた人もいました。ナルホド。
いわゆる一般市民の我々でも、「恋愛中は両目を開けて、結婚してからは片目をつぶって相手を見なさい」とか言われますからね。
ただ、日本人は結婚後は、恋愛感情は長続きしないようですよね。照れもあるのか、結婚後もパートナーのことが「大好き」と答える人に出会ったことがありません。ただ、お見合い結婚後、パートナーが大好きになって「今、恋愛中」という人の幸せなお話は聞いたことがあります。
まあ、結婚生活で長く苦楽を共にすると、人類愛に変化していくという人の話もよく聞きます。
はてさて、私は一過性の精神障害の時期があったのでしょうか?あったような、なかったような。。。
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