学校のベルが鳴らなくなったことに気付いてから、「学校って静かね」って思うことが増えました。
BGMが聞こえない
先日近所の小学校の運動会がありましたが、本当に静かです。かけっこの時にアドレナリンが出るようなBGMはなく、ダンス音楽もありません。
子どもたちの歓声はほとんど聞こえず、なんと午前中で終了しました。
下の写真が当日の様子。「運動会やっている」って感じしませんよね。
父兄の出席を期待していない?
入場門や退場門のデコレーションもなく、父兄の観戦席は椅子持ち込み禁止のようです。
我々の世代から見ると、「小運動会」と言っていたリハーサルに見えます。昭和の時代は子どもの運動会は家族行事の一つでした。父兄席には場所確保のレジャーシートが敷かれて、そこに家族が座って観戦していました。
今の風景を見ると、父兄の観客席は座る椅子を持参することもできないようで、立ちっぱなしのようです。これはこれで大変そうですね。
プログラムは午前中で終了
子供の数が減って、いろんな競技に時間がかからなくなったことはよく聞きます。でも、小学校って6学年ありますから、それなりに時間がかかるものと思っていました。しかし、午前中でプログラムは終了してしました。
先生方の働き方改革もあって、負担の大きい学校行事は縮小の方向にあると聞きます。まあ、長時間の運動会は子どもたちも親も先生方もつかれますからね。
お弁当なし
我々の頃は、お昼休みには母親手作りの行楽弁当を一緒に食べる大きなイベントでした。
その後、「母親手作りのお弁当が準備できない子がいる」とか、「仕事をしている親は運動会に行けないので子どもがさみしい思いをする」などといった声が大きくなって、「運動会で家族とお弁当を食べる」ということはなくなったようですね。「フルタイムで働くお母さんたちにはよかったかな?」などと安易に考えていました。
ところが、「年に数回しかない子どもの行事に参加するのは親の責任!」という子育て真っただ中にいた姉の言葉には、唸らせるものがありました。この頃の子育て真っ最中の同僚も同様の意見でした。「そんなことは当たり前として、子どもを産み育てているんだ」という親のプライドですよね。子どもの成長を共に喜ぶことは、学校行事に参加するための様々な雑務や負担などは、苦にならないということなのでしょうね。
そして、時代の変遷によって価値観も変わり、今の形態になったのでしょうか。授業開始や終了のベルさえも「騒音」「近所迷惑」という背景もあって、例え1日限りの学校行事でも、容認できないものがあるようです。う~ん。。。
モンスターペアレントのエピソード
養護教諭をやっていた高校時代の同級生から、運動会にまつわるモンスターペアレントの話を聞いたことがあります。
組体操で運悪く転落した子どもがいたそうです。この子は、大きな外傷はなかったものの、養護教諭の友人の判断で大事を取って病院を受診させたそうです。以降の運動会への参加はあきらめることになりましたが、医師からも「大丈夫」との診断を受け、安心して子供を帰宅させたそうです。
そして、翌日両親が学校に現れて、養護教諭である同級生も呼ばれたとのことでした。
転落した子どもの両親は、「わが子が組体操から転落し運動会から離脱を余儀なくされ、運動会の写真など思い出を残すことができなくなった」として、なんと「運動会をやり直せ!!!」と主張してきたということでした。
さすがに、運動会のやり直しはしなかったようですが、こんなことを言って学校にねじ込んでくる親がいるとは、びっくりです。養護教諭の友人には、「本当に病院受診が必要だったのか?担当である養護教諭の判断ミスではないか?」と詰め寄られたそうです。
まあ、病院を受診させていなかったらいなかったで難癖をつけてくるのでしょうけどね。こういう人は最初っから人の説明を理解する気はありませんから、何を言っても無駄ですもんね。可哀そうに詰め寄られた養護教諭の友人は、かなり落ち込んでいました。
平等、危険回避、共働き家族の増加、教師たちの負担軽減、近所迷惑 etc 学校行事も大変そうです。
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